
死亡保険は本当に必要ですか?感情論から考える「残された家族」の本音
ごあいさつと本日のテーマ
こんにちは、鼻つぶれぱぐ男です。
このブログでは、金融機関や周囲が教えてくれない「身近でへぇーと思えるお金の話」を、40歳でリタイアした私が日々配信しています。
今回のテーマは感情論です。
タイトルは「あなたの死亡保険を欲しいと思う家族がいると思いますか?」
保険の金額や仕組みというよりも、「気持ちの話」に焦点を当てます。
必ず訪れる「死」と向き合う大切さ
家を買う・買わない、結婚する・しない、子どもがいる・いない。
これは人それぞれです。
ですが「死」はすべての人に訪れる確実な出来事です。
日本人は死の話を避けがちですが、話さなければならないテーマでもあります。
私自身も亡くなりたくありません。
しかしそれは避けられない現実です。
私は「もらった側」でした。本音は「いらなかった」
私は両親をすでに亡くしました。
父は64歳、母は69歳でした。
そのとき私は死亡保険金を受け取る側になりました。
しかし、本音を言うと「まったく嬉しくなかった」です。
むしろ「そのお金、もっと自分たちのために使っておいてくれ」と思いました。
人間ドッグに行っていれば…と悔やむことばかりです。
人間ドックに行っていなかった両親
父は急性骨髄性白血病でした。
発見が遅れました。
母も、父の死後にふと検査を受けて引っかかりました。
二人とも病院嫌いでした。
だからこそ「せめて定期検診だけは…」と思ってしまいます。
死亡保険をかける前に、まず健康にお金を使ってほしかった。
それが本音です。
保険金を渡す側としての経験
私は保険の販売側も経験しています。
いろいろな方に会いましたが、死亡保険金をもらって「喜んだ人」には一人も出会っていません。
「お葬式が出せた」という言葉さえ、ほとんど聞いたことがないです。
むしろ、遺産でもめている家族はよく見かけました。
整理しておくべきは「お金」よりも「家の中」
最近、私自身も家具の処分をしました。
この体験からも感じましたが、亡くなる前に「家の整理」をしておくことの方が、死亡保険金よりも家族の役に立ちます。
不要なもの、使っていないもの。
それを片付けておくだけで、家族はかなり助かるものです。
死亡保険金、本当に必要ですか?
あなたが亡くなったら、家族が本当に路頭に迷うでしょうか?
もしそうなら、「掛け捨て型の最低限の保険」だけで十分です。
しかし、十分な貯蓄があって、遺族年金や退職金なども入るなら、本当に保険は必要でしょうか?
その保険料を、今の自分の健康や生活の充実のために使うべきではないでしょうか。
保険料でできる「未来への投資」
保険料を使って、以下のような自己投資もおすすめです。
- 人間ドックの充実プランを受ける
- 健康診断で気になる項目を追加する
- 睡眠外来で生活改善を図る
- 栄養やアレルギー検査をして健康管理に活かす
- 書籍やAIツールで知識を広げる
- 家族での体験・旅行にお金を使う
資産形成の目的は「お金を貯めること」ではなく「人生を豊かに生きること」です。
そのためには、貯めたお金を「どう使うか」が非常に大切なのです。
前向きな家族を信じて、お金の使い方を考え直そう
このブログを読んでいる皆さんは、資産形成やお金の知識に前向きな方ばかりだと思います。
そんな皆さんの家族も、きっとポジティブな価値観を持っているはずです。
だからこそ、「不安だから死亡保険」という思考ではなく、
「今のお金の使い方」で家族に貢献する選択をしてもよいのではないでしょうか。
最後に:一歩立ち止まって考えてみましょう
今回の話は、死亡保険を否定するものではありません。
「自分には必要か?」
「それ以上に大事なことは?」
を問い直すための感情論です。
家族の未来を考えるなら、「保険金」よりも「健康」や「心の余裕」を贈る方が価値があると、私は思います。
本日もお読みいただき、ありがとうございました。
どうか、今日という日を健やかにお過ごしください。
いってらっしゃいませ。